私たちは、自分の「観念」の影響から逃れることができません。まるで心の中に自分専属のコーチがいるかのようです。問題はそのコーチの性質です。
 ・心配症な親にそっくりなコーチ
 ・自分達には価値がないと信じているコーチ
 ・誰にも愛されていないと思っているコーチ
もしそんなコーチが絶えず自分の心に影響を与えているとしたらどうでしょうか? そんな「観念」との関係性を改善する方法をみていきましょう。


観念とは、

 
「観念」というのは、 自分が生まれた世界でより安全に生きるために、脳内に集め続けた「知恵や情報の集り」からできていて、私達の活動を見守りながら、私達の振る舞いをナビゲーションしてくれるような存在です。
 
私達は「観念」となっていく「知恵や情報」を幼少の頃から毎日獲得していきます。
  ・人間関係から得るもの
  ・地域社会や文化から得るもの
  ・自然環境から得るもの
  ・自己評価から得るもの
これらの情報は雪だるま式に増えていきます。 その情報量はあまりに膨大で、「意識」ではとても記憶しきれません。そこで脳は「観念」を無意識層に蓄積します。
 
無意識層に蓄積されている「観念」は、 安全に関わる重要な情報群ですから、 簡単に消去できるようなものではありませんし、その働きはとても機敏です。
もし過去の状況に照らし合わせて、危険を察知するようなことがおこれば、無意識は即座に反応します。具体的には、私達(意識)に対して「警戒心」を抱かせるようなイメージを瞬時に発信してきます。
 
このイメージが意識に届くと、私達は自然と不安を感じたり、体に不快な感覚を感じたりししますので、そのもごとに警戒心を抱くようになります。
 
このような 「観念」は言語で言い現わせるものもありますが、それはほんの一部です。 実際には、言葉では表現しきれない感覚的ものなど、多様な状態の観念が私達の中に存在しています。
 

観念の大切さと問題点

 
<観念の大切さ>
「観念」の大切さといえば、私達が日常の生活の中で、できるだけ安全でいられるように自動的に危険を知らせてくれたり、考え方に方向性を与えてくれるところです。
 
<観念の問題点>
観念は本来有意義なものですが、その「内容と自動性」が悩みの種になることがあります。なぜなら観念の多くは幼少期に得た情報で形成されているからです。
 
 子供時代には危険なことであっても、大人になれば積極的に取り組まねばならないことは、山のように存在します。 しかし観念から危険信号が発信されて、心に急ブレーキがかかってしまうとしたらどうでしょう。 
 
「進みたいのに進めない」このような葛藤や苦しみを生み出してしまうのが、観念の問題点なのです。
 
 


<大事なのはフィット感>
観念は 「洋服」に似ています。 私達に「洋服」は必需品です。 しかしながら子供時代の服を大人になってまで着ている人はいません。 私達は年齢やTPOに合わせた服を生涯選び続けます。
つまり「いまの自分に合うフィット感」が大事なのです。 「観念」も同じです。
 
「観念」も必要に応じて点検し、いまの自分の思いにフィットするように調整する必要があるのです。
  
自分の思い通りに動けない
自分に自信がもてない
気遣いに疲れてしまう
 
もしこのようなことを感じるのなら、「イメージ描画法」という技法で、「観念」との関係性を今の自分に合うように調整することをお勧めします。 
肩こりをほぐすような感覚で、心のマッサージに行くような気軽さで、イメージ描画法を楽しんでみて頂きたいと思っております。


 
 
 
 
 
 

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スタジオの室内風景